京都市立芸術大学芸術資料館
令和6年度陳列室展示記録

 京都市立芸術大学移転記念特別展
 
京都芸大<はじめて>物語


 日本で最も長い歴史を持つ芸術大学である京都市立芸術大学の京都駅東地区移転を記念して、特別展「京都芸大〈はじめて〉物語」を開催します。
 1880年(明治13年)の創立以来、150年近い歴史の中で、多くの教員や卒業生が芸術の分野で活躍してきました。この間にはさまざまな教育研究の試みや、特徴的な卒業生の輩出がありました。そうして生み出されてきた数々の〈はじめて〉を、芸術資料館所蔵品を中心とするさまざまな作品、資料により展覧し、本学の進取の精神を紹介します。
〈はじめて〉に関する大小さまざまなテーマからなる本展は、第1期から第4期まで4つの会期で構成されます。2024年春から2025年冬まで一連の展覧会を通じて、本学の歴史と主要なコレクションを一覧できる貴重な機会となるでしょう。

 
 
 第1期
 「カイセン始動ス!−京都市立絵画専門学校に集いし若き才能—」 
 4月6日(土)~6月2日(日) 


 
明治13年に開校した京都府画学校は、その後改革を繰り返し、京都市立美術工芸学校(美工)として、美術工芸の中等教育を担うこととなります。明治36年に高度な専門教育を目指した専門学校令が発令され、また文部省による本学的な美術展である文展が明治40年より始まります。そのため美工の上級学校として京都市立絵画専門学校(絵専)が設置されました。美工からの進学者だけでなく既に実績のある若手画家も入学し、その卒業生は大正時代の日本画壇でめざましい活躍を見せることになります。
 ここでは彼らの卒業作品を展覧することで、革新のエネルギーに満ちた時代の空気を感じていただきたいと思います。


【主な展示予定作品】 
 土田 麦僊 《髪》 明治44年(1911) 
 小野竹喬 《南国》  明治44年(1911)
 村上華岳 《二月の頃》  明治44年(1911)
 入江波光 《北野の裏の梅》  明治44年(1911)
 岡本神草 《口紅》  大正7年(1918) ほか



ギャラリートーク
(展示解説)


4月23日(火)
12:15~12:45


※事前申込不要・無料
 
 第2期
 「「日本最初京都画学校」—京都御苑からの出発—」
 6月15日(土)~8月12日(日・休)


 明治の始まりとともに全国に先駆けて各種の学校を開いてきた京都。美術の学校は明治11年、南画家田能村直入が京都府知事あてに画学校設立を進言したところから動き出し、同13年7月1日、日本初の公立美術学校として設立、三条実美が「日本最初京都画学校」と命名しました。最初の校舎は京都御苑内にありました。国の組織では西洋式の美術を伝える工部美術学校が既にありましたが、京都府画学校は西洋画、写生画、南画、やまと絵等を幅広く学ぶ絵画の学校としてスタートしました。

【主な展示予定作品】 
 田能村直入ほか《画学校起校上書・開学建議書・建築案図》 明治11年(1878)
 幸野楳嶺《龍馬負河図図》  明治13年(1880)
 望月玉泉《蜥蜴図》 明治時代(1880-89)
 汪葑《溪山明微図》 中国清時代/乾隆51年(1755) ほか



ギャラリートーク
(展示解説)

6月25日(火)
12:15~12:45


※事前申込不要・無料
 
 第3期
 
道を拓きしものたち—知られざる先駆者—
 9月21日(土)~11月24日(日)


 開校以来140年余り、この学校は美術を志す多くの若者たちによって歴史が刻まれてきました。その中には、明治期に各分野で初めて道を拓いたものの、その後の歴史の中では忘れられた人も少なくありません。ここでは初めての日本画卒業生、初めての西洋画卒業生、初めての女子卒業生等を紹介します。あわせて収蔵される最初期の卒業制作を展示します。
 ここで展示される西川桃嶺という画家は、明治13年12月、第1期として唯一の卒業生となった人物です。その作品は希少で、忘れられた画家となっていましたが、近年本学に大作が寄贈されました。それが保存修復専攻の学生の手により修復され、このたび初公開されます。


【主な展示予定作品】 
 西川桃嶺 《玄武洞図屏風》 大正6年(1917)
 原撫松 《友人の像》   明治40年(1907)
 耕山細香 《野叢寒鶉》   明治30年(1897)
 河合聚斎 《楠正成応徴図》 明治28年(1895)
 鄭褧裳 《鸚鵡》   大正3年(1914)  ほか


                     
        
ギャラリートーク
(展示解説)

10月8日(火)
12:15~12:45


※事前申込不要・無料
 
 第4期
 「Road to GEIDAI〈芸大〉―美術学部改革と新しい教育をめぐって—」
 12月7日(土)~2025年2月11日(火・祝)


 
昭和20年(1945)4月、京都市立絵画専門学校は京都市立美術専門学校へと名称を変更し、終戦後は新制大学発足にともない昭和25年(1950)4月に京都市立美術大学として開学しました。一方本学音楽学部の前身となった京都市立音楽短期大学は昭和27年(1952)4月に設置され、両学は昭和44年(1969)4月に京都市立芸術大学の美術学部、音楽学部となって教育をともにしていくこととなりました。同年全国で拡大した学生運動のあおりを受け、本学でも大学改革の気運が生じ、特に美術学部の学生の意見を反映した改革案が実行されていきました。学科の再編が行われ、1回生の共通ガイダンス実技の開始、「研究テーマ」の実施など、現在のカリキュラムにつながる本学独自の教育が始まりました。また、油画専攻から版画や構想設計などの新たな専攻が登場するなど、本学の教育の多様化が進みました。
 戦後からのめまぐるしく変化する時代において、本学が取り組んだ教育における“はじめて”の試みについて、沓掛キャンパスへ移転した昭和55年(1980)頃までの大学史に関わる収蔵品とともにふり返ります。

【主な展示予定作品】 
 須田国太郎《馬墨画》  昭和25年(1950)
 作者不詳《京都市立美術大学門標》  昭和25年(1950)
 辻晋堂《目は口であり、口はまた目である》 昭和40年(1965)
 吉原英雄《MIRROR OF THE MIRROR NEW YORK》 昭和47年(1972)
 作者不詳《神像(マサライ)》(ニューギニア民族資料)  ほか


    
ギャラリートーク
(展示解説)

12月10日(火)
12:15~12:45


※事前申込不要・無料


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