明治の図案科年表

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明治13年

1880

6月17日

京都府画学校,京都御苑内旧准后里御殿を仮校舎とし,事務を開始する。

明治13年

1880

6月30日

東西南北の四宗を置き,東宗日本写生画大和絵類に望月玉泉,西宗西洋画に小山三造,南宗文人画に谷口藹山,北宗狩野派雪舟派類に鈴木百年・幸野楳嶺を担当・副教員とする。修業年限を3年とする。

明治13年

1880

7月1日

京都府画学校開校式を挙行する。

明治15年

1882

10月9日

仮校舎暴風のため破損,河原町織殿内に移転する。

明治18年

1885

6月1日

河原町元勧業場跡へ移転する。

明治21年

1888

2月14日

四宗を改め,普通画学科・専門画学科・応用画学科を置き,修業年限5年,入学資格を尋常小学校卒業以上とする。

明治21年

1888

3月1日

東南北三宗を一括して東洋画とし,西洋画と対置させる。

明治21年

1888

11月

応用画学科に修業年限3年の速成科及び別科を置く。

明治22年

1889

12月17日

京都市の経営に移り,京都市画学校と改称。京都御苑内博覧会東館に移転。

明治23年

1890

3月23日

東山華頂山麓知恩院内通照院に移転する。

明治24年

1891

4月1日

京都市美術学校と改称し,絵画科・工芸図案科甲部の修業年限を5年,工芸図案科乙部の修業年限を3年とする。

明治24年

1891

4月1日

製図規程を設け,美術工芸家の依頼に応じ,図案の意匠を作成することになる。

明治26年

1893

3月5日

京都御苑内東南隅の新校舎に移転する。

明治27年

1894

8月8日

京都市美術工芸学校と改称する。

明治28年

1895

4月27日

美工依頼品制作規定制定。

明治28年

1895

10月2日

漆工科蒔絵部及髹漆部を新設する。

明治28年

1895

10月21日

校友会を組織。

明治29年

1896

8月28日

予備科の修業年限を2年に延長する。

明治29年

1896

11月1日

第1回校友大会。会員作品陳列。

明治32年

1899

9月30日

工芸図案科を図案科と改称し,漆工科を描金科と改称する。また各科修業年限を4年とし,予備科を廃し,各科に修業年限2年の専攻科を置く。本科卒業後の実技専攻に関する規定を設ける。

明治33年

1900

4月

市立図案調製所,美術工芸学校所属となり,図案調製部とする。

明治33年

1900

6月15日

依頼品制作規定を廃止,応請図案調製規定を制定。

明治34年

1901

5月8日

文部省令により,校名を京都市立美術工芸学校と改称する。

明治35年

1902

3月5日

校友会誌『美術及美術工芸』創刊する。

明治35年

1902

4月

絵画科・図案科実習室内の座業の習慣を改め,画架・椅子を用いる。

明治36年

1903

3月25日

校友会誌『美術及美術工芸』最終号を発行する。

明治37年

1904

4月8日

描金科実習室においても座業を改め椅子・卓子を用いる。

明治37年

1904

4月26日

専攻科を廃す。

明治40年

1907

6月21日

応請図案調製規定を廃止,応需製作に関する規定制定。

明治40年

1907

7月6日

上京区吉田川端通荒神口上ル二筋目東入ルの新築校舎に移転する。

明治41年

1908

5月20日

描金科を漆工科に復す。2年の予科を設置する。

明治42年

1909

4月1日

京都市立絵画専門学校創立。吉田町の美術工芸学校の校舎の一部を借用し授業を開始する。生徒定員150人。修業年限予科2年,本科3年,研究科2年とし,入学資格を中学校卒業以上とする。

明治42年

1909

7月1日

京都市立絵画専門学校開校式を挙行する。校友会誌『美』創刊。

明治42年

1909

11月

美工会設立する。

明治42年

1909

12月7日

美工校友会図案部第1回研究会。

明治44年

1911

8月5日

美工会出版部を置き,「古代模様集」を出版。


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