石崎光瑤絵画資料
いしざきこうようかいがしりょう
石崎家から寄付された日本画家石崎光瑤の素描資料。巻子1巻、写生帳141冊を含む全731点からなる。素描は花鳥の写生が大部分を占める。写生帳は大正から昭和戦前期のものがあり、インドや欧州への外遊に際しての素描には、メモ書きが多く見られる。また、古画や文化財の写生もあり、光瑤の古典研究の様子がうかがえる。石崎光瑤(1884〜1947)の略歴は次のとおり。富山県西礪波郡福光町に生まれる。本名猪四一(ししいち)。明治29年(1896)に東京で山本光一に師事、同36年京都の竹内栖鳳に入門する。大正元年(1912)第6回文展に《薫園》が初入選、以後文展・帝展に出品を続ける。同7年(1918)第12回文展で《熱国妍春》が、翌年第1回帝展で《燦雨》が特選となった。同5〜6(1916-7)年インド外遊、同11〜12(1922-3)年には欧州に外遊している。そして昭和8(1933)年にはインド再遊を果たした。大正14年(1925)から昭和20年(1945)まで京都市立絵画専門学校の教員をつとめた。
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