猪飼嘯谷旧蔵文書
いがいしょうこくきゅうぞうぶんしょ
猪飼家より巷間に出た日本画家猪飼嘯谷関係資料の一部。猪飼嘯谷の自筆写本を中心とし、全40点の資料は大きく三群に分けられる。ひとつは嘯谷が美術工芸学校の生徒であった時期の教育関係資料。次いで嘯谷が美術工芸学校の教員を務めた時期の教育関係資料。最後が故実研究に関わる記録である。貴重なものとして画学校時代の講義である大角成充「光論」の教本が残されている。その他野口尚美堂宛て嘯谷書簡を含む。猪飼嘯谷(1881~1939)の略歴は次のとおり。京都に生まれる。本名敬眞。通称宇吉(うきち)。谷口香嶠に師事して四条派を学ぶ。明治33年(1900)京都市立美術工芸学校図案科を卒業。同年同校助手、同38年(1905)助教諭となり、同43年(1910)以降同校教諭と京都市立絵画専門学校助教諭を、大正6年(1917)から退任する同14年(1925)まで京都市立絵画専門学校助教授を兼任。明治41年(1908)第2回文展に《閨愁》が初入選し、以後文展に出品。大正8年(1919)日本自由画壇結成に参加、同人となる。また、私塾青竹会を主宰。昭和12年(1937)日本自由画壇を脱退。官展に復し、新文展に無鑑査出品した。歴史人物画に優れ、昭和5年(1930)宮内省の命により《大正天皇大礼絵巻》を、同9年(1934)明治神宮聖徳記念絵画館壁画《御即位礼図》を制作した。
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