千種掃雲絵画資料 |
ちぐさそううんかいがしりょう |
千種家が所蔵した千種掃雲の画稿および素描。画稿3点と写生帳74点の77点からなる。画稿3点は明治期の大下絵。写生帖は、明治中期の青年期のものから昭和初期のものを含む。千種掃雲(1873〜1944)の略歴は次のとおり。京都に生まれる。本名は顕男。神戸で茨木翠岳の弟子となり、明治28年(1895)竹内栖鳳に師事して掃雲と号する。明治30年(1897)第1回全国絵画共進会で二等褒状をうける。以後、後素青年会や内国勧業博覧会などで受賞多数。明治36年(1903)聖護院洋画研究所に入り浅井忠に洋画を学ぶ。明治39年(1906)丙午画会を結成。聖護院洋画研究所が関西美術院となる中で同院の幹事となる。明治41年(1908)京都府立第二高等女学校(現朱雀高校)美術教師となる(大正5年まで)。大正4年(1915)京都高等工芸学校講師となる(昭和18年まで)。大正7年(1918)頃から家祖千種忠顕の顕彰を行う。 |
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