ごあいさつ

 このたび、京都市立芸術大学芸術資料館では「消えた胸像を追って-幸野楳嶺像と美工の彫刻家たち-」展を開催いたします。

 本学は明治13年(1880)に京都府画学校として設立され、その後、明治27年(1894)には京都市美術工芸学校(のちの京都市立美術工芸学校、通称「美工」)と改称、さらに明治42年(1909にはその高等機関として京都市立絵画専門学校(通称「絵専」)が新設されるなど、発展を重ねてきました。

 画学校設立に大きく貢献したのは、当時、京都画壇の指導者であった日本画家・幸野楳嶺(1844-1895)でした。昭和15年(1940)創立60周年に際し、幾多の困難を乗り越え本学設立に尽力した氏の貢績を記念し、画家有志の発案により彫刻家・北村西望(1884-1987によって銅像が建設されます。しかし、時代は太平洋戦争前夜、設置されたのもつかの間、金属供出令によって像は失われ、以来再び同じ姿で造り直されることはありませんでした。現在、本学構内で見ることができるコンクリートの胸像は、昭和25年(1950)に彫刻家・辻晉堂(1910-1981が指導にあたり学生らよって作られた二代目のものです。しかし幸いにも、本学資料館には当初の楳嶺像の石膏原型が保管されていました。

 本展では、この一つの銅像が辿った歴史をひもときながら、いま一度、日本画家の育成に尽力した楳嶺その人の業績を紹介するとともに、楳嶺が今日まで本学の歴史のシンボルとしてありつづけた経緯をふりかえります。また、二つの銅像の制作にも携わった彫刻家と美工の繋がりに焦点をあて本学資料館が所蔵する明治から昭和初期にかけての彫刻作品を一堂に公開します。これまで展示される機会の少なかった作品を通して、本学130年の歴史を感じていただければ幸いです。

 最後になりましたが、本展を開催するにあたり、ご協力賜りました関係各位に深く感謝いたします。

2014年7月
主催者


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