土佐 光武
とさ みつたけ
天保15年(1844)~大正5年(1916)
土佐家分家光清の子として京都に生まれる。幼名恒丸。禁裏画所をつとめ,嘉永7年(1854)従六位上,豊前介となり,以後,文久元年(1861)正六位下,同3年(1862)土佐介,明治2年(1969)従五位下,土佐守に至る。安政2年(1855)竣工の内裏造営に際し,清凉殿の襖絵制作に関わった。明治13年(1880)京都府画学校出仕拝命,同26年(1893)から31年(1898)まで同校商議員を務めた。同15年(1882)第1回内国絵画共進会に出品。同23年(1890)東京青山御所杉戸絵揮毫。同24年(1891)に円山で土佐家書画会を企画するなど土佐派の再興に尽力した。墓は知恩寺(京都市東山区)土佐家墓所にある。
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