土佐 光起
とさ みつおき
元和3年(1617)〜元禄4年(1691)
和泉国堺に生まれる。父は土佐光則。幼名は藤満丸。子に土佐光成・土佐光親。寛永11年(1634)父に従って京都に移り、承応3年(1654)38歳で従五位下左近衛将監に叙され、土佐派として宮廷の絵所預職に復帰した。承応3年から京都御所造営に参加し、襖絵、杉戸絵を制作した。延宝9年(1681)光成に禁裏絵所預を譲ると剃髪し、法橋となる。法名を常昭いい、春可軒と号した。貞享2年(1685年)には法眼に叙された。大和絵のみならず狩野派や宋元画をも学び、従来の温雅なやまと絵に克明な写生描法を取り入れ、江戸時代の土佐派様式を確立した。元禄3年(1690年)土佐派の画論書『本朝画法大全』を著す。
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