土佐 光則
とさ みつのり
天正11年(1583)〜寛永15年(1638)
土佐光吉の子。通称源左衛門。子は土佐光起。光吉の時代に京都から堺に移り、光吉没後も堺で活動を続けた。堺衆とのつながりがあった。寛永6〜11年(1629-34)狩野派の山楽、山雪、探幽、安信らとともに《当麻寺縁起絵巻》の制作に参加。寛永11年息子の光起を伴って京都に移り、土佐派再興のため奔走した。正月には仙洞御所へしばしば扇絵を献上したが、官位を得ることはなかった。父の画風を継承して、《雑画帖》に見られるような、良質の絵具を用いた繊細優美な金地濃彩の細画を得意とした。
(C)京都市立芸術大学芸術資料館