鄭 褧裳
てい けいしょう
1883~1959
中国広東香山(現広東省中山)に生まれる。本名は錦。父鄭玉池に画を学ぶ。明治29年(1896)父の仕事のため横浜に来日。鮑少遊(1892-1985)と親交を結ぶ。同40年(1907)年京都に入り、同44年(1911)京都市立美術工芸学校を、大正3年(1914)同絵画専門学校を卒業。大正2年(1913)第7回文展に《娉婷》が入選。帰国後、中華民国政府の命により、1918年国立北平美術学校(現中央美術学院)を創立し、初代校長となる。在職8年にして職を辞す。清廉風雅の人となりで、日本と中国の画法を巧みに融合し、人物画特に古装の仕女画に秀でた。画作に時間をかけるため、寡作であったという。晩年は澳門に移り、1940年には大規模な回顧展を開催した。
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