高橋 道八(三代)
たかはし どうはち さんだい
文化8年(1811)〜明治12年(1879)
二代高橋道八(仁阿弥道八)の長男として京都に生まれる。初名は道三,名は光英,号は華中亭・道翁といった。父とともに五条坂の窯に作陶し,天保13年(1842)三代道八を襲名。染付・白磁・青磁・高麗焼写しなど家業として継承された作風の他,父譲りの手捻りの陶塑作品において,より写実的な成果を見せる。嘉永4年(1851)高松藩の御庭焼讃窯を指導。慶応元年(1865)仁和寺宮より法橋に叙せられ,以後「法橋道八」銘を用いる。明治2年(1869)肥前鍋島家に招聘され有田で色絵技術を指導した。明治7年(1874)隠居後は父の開いた伏見の桃山窯で作陶を続けた。
(C)京都市立芸術大学芸術資料館