高橋 道八(二代)
たかはし どうはち にだい
天明3年(1783)〜安政2年(1855)
京都粟田口に,陶家初代高橋道八光重の次男として生まれる。名を光時,通称を仁阿弥道八とした。また土師姓も許され,別号に法螺山人,松風亭がある。家を五条坂に移し,陶器のほか磁器,楽焼も作り,人物,禽獣の捏像に優れた。また古器の写しにも巧みであった。文政7年(1824)42歳で剃髪。御室仁和寺宮より拝領の仁の字と醍醐三宝院宮から賜った阿弥の字を連ねて仁阿弥と号した。紀州徳川家に招かれて御庭焼に従事したり,讃州松平家に招かれて讃窯を興すなどした。天保13年(1842)60歳で隠居。道翁と号し,伏見桃山に庵を設け,桃山窯を起こした。
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