角倉 一方堂
すみのくら いっぽうどう
寛政12年(1800)〜明治6年(1873)
京都の町衆。名を玄寧といい,嵯峨の角倉別邸に設けた窯で陶器を焼いたという。高橋道八(1783-1855),永楽保全(1795-1854)ら時の名工を招いて作陶を学び,茶器,酒器などの陶器や,楽焼を制作したと伝えられる。器には一方堂の印があり,作風は道八との関係をうかがわせる。また,一方堂焼は,玄寧が三代道八(1811-79)に差配させて五条坂の陶工に作らせたものともいう。
(C)京都市立芸術大学芸術資料館