楽 旦入
らく たんにゅう
寛政7年(1795)〜嘉永7年(1854)
千家十職のひとつである茶碗師楽家の十代。九代了入の次男。幼名惣次郎。諱は喜豈。文化8年(1811)に17歳で十代吉左衛門を襲名する。弘化2年(1845)剃髪隠居し,表千家10代吸江斎から宗旦の旦字を受け旦入と称した。文政2年(1819)表千家9代了々斎と共に紀州徳川家に出向き,紀州徳川10代治宝の御庭焼である「偕楽園窯」開設に貢献。その功績により文政9年(1826)徳川治宝より「樂」字を拝領。その後,紀州徳川11代斎順の御庭焼である「西の丸窯」(文政13年(1830)開窯)や「清寧軒窯」(天保5年(1834)開窯)の開設にも尽力した。技巧的で華やかな作風で知られ,父譲りの篦削りに優れた。
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