楽 了入
らく りょうにゅう
宝暦6年(1756)〜天保5年(1834)
千家十職のひとつである茶碗師楽家の九代。七代長入の次男。幼名惣次郎。諱喜全。雪馬,秀人などと号す。明和7年(1770)に15歳で九代吉左衛門を襲名。文化8年(1811)に剃髪,近江国石山に隠棲し,表千家九代了々斎宗左から了字をもらい,了入と称した。天明8年(1788)の京都大火では,了入の楽家も被災し,陶土や印を失ったという。これを契機として,篦削りの巧みな造形を見せる作風に新たな展開を見せた。寛政元年(1789)には長次郎二百年忌を務め赤茶碗200個を制作した。隠居後の作品にも佳品があり,三代以来の名工として楽家中興の祖と評された。
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