尾形 乾山
おがた けんざん
寛文3年(1663)〜寛保3年(1743)
京都の呉服商雁金屋の三男として生まれる。初名は権平。後に深省と称した。画家の尾形光琳は兄にあたる。その性格は内省的で,隠遁を好み,父の死後元禄2年(1689)御室に隠宅を構えた。野々村仁清に作陶の弟子入りし,元禄12年(1699)京都鳴滝に窯を開く。「乾山」は本来都の北西(乾)の山に築かれた窯の名だが,号としても用いられた。兄光琳が絵付けをした白地銹絵陶器を多数生み出したほか,釉下色絵の技法を生み出した。正徳2年(1712)二条丁子屋町に移転。享保年間(1716-36)の中頃江戸入谷に移り住み,元文2年(1737)には下野国佐野で作陶,江戸に没した。
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