小田 半渓
おだ はんけい
天保8年(1837)〜明治35年(1902)
飯尾掃部の子として上花山村(現京都市)に生まれる。名は昌。字は好彦。不倒翁とも号す。幼少より父に経史を学び,16歳で父と共に鷹司家に仕え,安政元年(1854)前田暢堂について南画を学び,南画家となる。のち長崎に遊学し,日高鉄翁,清人徐雨亭にも指導を受けた。元治元年(1864)祖家の小田四郎の絶家を再興し,小田氏となる。明治13年(1880)京都府画学校出仕拝命,同21年(1888)改組された画学校の嘱託教授となるが,間もなく退いた。同17年(1884)第2回内国絵画共進会や,同23年(1890)第3回内国勧業博覧会などで受賞。越後,能登,信濃,九州諸国などを遊歴し,晩年は別府市に移った。
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