円山 応挙
まるやま おうきょ
享保18年(1733)〜寛政7年(1795)
丹波国桑田郡穴太村(現亀岡市)の農家に生まれる。幼少より画を好み,10代で京都に出て狩野派に連なる鶴沢派の石田幽汀門に入る。はじめ眼鏡絵制作に関わり,写実主義に傾倒した。西洋の写実と中国沈南頻風の濃密な写生画の影響を受けつつ,付立てと呼ばれる筆法を生かした穏健平明な画風を作り出した。明和3年(1766)から応挙を諱とし,字を仲選,号を遷斎とした。長沢蘆雪(1754-99)や森徹山(1775-1841)など門弟も多く,後に円山派と呼ばれた。三井寺円満院門主祐常の知遇があり,豪商三井家がパトロンとなって支えた。兵庫県大乗寺の障壁画や,三井家旧蔵の雪松図屏風などの代表作がある。
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