仇 英
きゅう えい
弘治11年頃(c.1498)〜嘉靖30年頃(c.1551)
中国明代の画家。太倉(現江蘇省太倉)に生まれ,呉県(現江蘇省蘇州市)に移住した。字は実父,また実甫といい,号を十洲とした。沈周(1427-1509),文徴明(1470-1559),唐寅(1470-1523)とともに明代四大家の一人として知られる。はじめ漆工や建築彩色に関わり,やがて画を生業として,文徴明をはじめ多くの識者の注目するところなった。周臣に画を学び,唐宋の絵画を臨模して大成した。その画は南宋院体画の伝統を継承しつつ,諸派の古典から学ぶところを融合するものとされる。人物画に優れ,特に仕女画に巧であった。その画は青緑山水による山水楼閣の中に仕女を配するものに代表され,鮮やかな彩色と,写実を基調とする細密な描写により独特の画体を作り出した。職業画家ながら呉派の文人画家とも交流があった。
(C)京都市立芸術大学芸術資料館