国井 応文
くにい おうぶん
天保14年(1833)〜明治20年(1887)
京都の医者の家に生まれる。母は円山応挙の孫で,円山応震の妹。字は仲質,別号は彬々斎。円山応立に師事し,山水花鳥に優れ一家をなし,応立没後は一門の後継者となる。安政2年(1855)に竣工した内裏造営において小座敷に墨画山水の襖絵を描いた。慶応2年(1866)ころ中島来章,塩川文麟らと如雲社を設立。明治13年(1880)京都府画学校出仕拝命。京都博覧会でも受賞,同17年(1884)第2回内国絵画共進会に《桂御所御庭図》《花鳥》を出品,褒状をうけた。同19年(1886)幸野楳嶺らが設立した京都青年絵画研究会の展覧会で審査員をつとめている。
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