岸 竹堂
きし ちくどう
文政9年(1826)〜明治30年(1897)
彦根に生まれる。名は昌禄,字は子和,通称八郎。天保7年(1836)狩野派の中島安泰に師事,その後上京して狩野永岳に入門。天保14年(1843)岸連山に師事し竹堂の号を受け,養嗣子となる。二条城本丸御殿襖絵制作や安政度内裏造営御用を受け,安政4年(1857)には有栖川宮家の家臣となる。明治7年(1874)頃から西村総左衛門や高島屋の依頼により友禅の下絵を描くが,この時期に西洋絵画にも目を向けた。同13年(1880)京都府画学校出仕拝命,同21年(1888)嘱託教授をつとめる。内国勧業博覧会やシカゴ万国博覧会などで受賞を重ね,明治29年(1896)には帝室技芸員となっている。
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