狩野 常信
かのう つねのぶ
寛永13年(1636) 〜 正徳3年(1713)
狩野尚信の子。幼名は三位、通称は右近。養朴・古川叟などと号した。子に長男周信(木挽町狩野を継ぐ。)、次男岑信(浜町狩野を興す。)、三男甫信(浜町狩野を継ぐ。)がいる。慶安3年(1650)尚信没後、15歳で木挽町狩野家を継ぐ。同年剃髪して養朴と号し家光に見える。後に家綱の御用を勤め、幕府奥絵師を務めた。父没後は狩野探幽に学ぶとされる。中院通茂に和歌を学び、近衛家の画事も勤めた。古画の学習に努め、《常信縮図》(60巻、東京国立博物館蔵)と呼ばれる模本、粉本・画稿を残した。宝永元年(1704)に法眼、同6年(1709)法印となる。
(C)京都市立芸術大学芸術資料館