堯恕 親王
ぎょうじょ しんのう
寛永17年-元禄8年(1640-1695)
後水尾天皇の第十皇子。母は新広義門院藤原基子。俗名は完敏。号を逸堂という。妙法院門跡。正保4年(1647)妙法院に入り、堯然親王に師事する。慶安3年(1650)親王宣下があり、得度。妙法院門室を相続す。寛文3年(1663)以後天台座主を三度つとめる。寛文5年二品に叙せらる。元禄6年(1693)院内鉄竜庵に隠居し獅子吼院と称した。学殖優れ、『僧伝拝韻』(延宝8年刊)『五部大乗経捷径録』(元禄5年刊)など天台の教義、経典に関する著述が多い。また、絵画や文芸にも関心をしめし、漢詩集『逸堂集』(元禄8年刊)を残す。日記は『堯恕座主親王日次記』。墓は法住寺にある。
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