呉 春
ご しゅん
宝暦2年(1752)〜文化8年(1811)
京都に生まれる。本姓は松村、号に月溪・可転・允白・孫石などがある。はじめ松村月溪と名乗るが、のち中国風に呉春と改称した。若年期大西酔月に絵を学ぶが、20代で与謝蕪村に俳諧と絵画を学んで、その情趣にとむ文人画に影響を受けた。天明元(1781)年、30才のとき、池田(現在の大阪府池田市)に移り、呉春という名は、この地の古名に由来する。8年間の池田時代を経て、京都に戻り、円山応挙らとの交友から、平明な写生画へと接近し、軽妙で酒脱みのある画風は、洗練された京都の市民層に歓迎された。彼の一門は、多くが京都四条付近に住んだため四条派と呼ばれる。
(C)京都市立芸術大学芸術資料館