藤原 貞幹
ふじわら さだもと
享保17年(1732)〜寛政9年(1797)
仏光寺山内久遠院主玄熈を父に京都に生まれる。字は子冬。藤叔蔵とも称し、蒙斎・無仏斎とも号した。11才にして僧となるが18才頃還俗して儒学を学び、以後仏教を嫌った。生涯貧しかったが、早くから好古の癖があり、種々の史料典籍を集めた。古事に詳しく書物に通じ、また、篆刻・料理・音楽にも通じて多趣味であった。柴野栗山、立原翠軒、橋本経亮、木村蒹葭堂、裏松固禅、伊勢貞丈、木内石亭らをはじめ、多くの文化人との交遊で知られ、日本の文献学・考古学の祖とされる。著作には公刊された『好古日録』『好古小録』『衝口発』『国朝書目』『逸号年表』の他多数ある。
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