永楽 保全
えいらく ほぜん
寛政7年(1795)〜嘉永7年(1854)
千家十職の一つである土風炉師西村善五郎11代。幼名は千太郎、13歳頃に10代善五郎永樂了全の養子となる。文化14年(1817)に11代善五郎を襲名。文政10年(1827)紀州藩十代藩主徳川治寶の西浜御殿の御庭焼開窯に招かれ、「河濱支流」の金印と「永樂」の銀印を拝領する。天保14(1843)年善五郎の名を長子和全に譲り、善一郎と改名。嘉永元年(1848)保全(やすたけ)と名乗る。同3年(1850)江戸に下向し、翌年帰洛の途中近江の大津に留まり、湖南焼を興す。同5年(1852)、高槻藩主永井直輝の御庭焼高槻焼に招かれた、また同7年(1854)には、円満院門跡宮の御用窯を興す。交趾、青磁、古染付、祥瑞、赤絵、金襴手、仁清写し、高麗写しを手掛け、時代の趣味にあった洗練された茶陶で知られる。
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