大願
だいがん
寛政10年(1798)〜元治元年(1864)
会津に生まれ、諱を憲海、字を林岳といい、号を無言蔵、後に大願とした。青年期は長谷寺で修学し、高貴寺や高山寺など諸山を巡歴して、経典や図像の書写を行いながら研鑚を積む。悉曇に通じ、河内長栄寺黙住信正に進具して、慈雲飲光の正法律を堅持した。やがて、会津に戻り、八角神社別当亀福院に住したが、後に弟子大成とともに再び京都に入り、山王寺に寄寓の後、六角堂能満院の住持となって、図像の収集と尊像の制作及び施印に専心した。元治元年の兵火で能満院が焼失した年、避難した蓮光院において歿した。彼の弟子大成・宗立らは、大願没後その遺志を継ぎ御室版両部曼荼羅の開版に尽力した。
(C)京都市立芸術大学芸術資料館