浅井 柳塘
あさい りゅうとう
天保13年(1841)〜明治40年(1907)
生地は京都あるいは阿波(現徳島県)という。名は龍,字は子祥。別号に小白,白山人,拝竹道人,白雲山客,雲客蘇雲などあり。はじめ百々広年に四条派を学び,次いで谷口藹山に南画を学び,貫名海屋に教えを受けた。のち長崎に遊学し,木下逸雲や日高鉄翁,清人徐雨亭らに画法を学ぶ。元明の古名蹟を学び,明治6年(1873)京都博覧会では席上揮毫に参加した。明治13年(1880)京都府画学校出仕拝命。同33年(1900)大阪南宗画会主催の第1回全国南画共進会では二等銀牌となった。全国を巡遊し,晩年居を京都に定める。山水を得意とし,詩文に長じて書もよくした。
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