青木 木米
あおき もくべい
明和4年(1767)~天保4年(1833)
京都祇園の茶屋「木屋」に生まれる。幼名八十八。家督を継いで青木佐兵衛を名乗る。号は木米の他、青来、九九鱗など多数あり、晩年耳が不自由になり聾米とした。高芙蓉に学び篆刻で知られ、木村兼葭堂のもとで清国人朱笠亭が著した『陶説』を読み、作陶に目覚めると、京都の奥田頴川に入門し、寛政8年(1796)頃粟田口に窯を開いた。白磁、青磁、赤絵、染付など作域は幅広く、中国古陶磁を研究してその写しに優れた。文人との親交は広く、煎茶器の製作が多いが、文人画系の画作も知られる。文化3年(1806)加賀藩に招かれ金沢卯辰山に春日山窯を開き、製陶再興の契機を作る。文化元年(1804)『陶説』の翻刻を行い、没後に刊行された。
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